日本最古の映画館
高田世界館演劇祭
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高田世界館演劇祭実行委員長
生存俳優中、高田世界館で日本一舞台を踏んでいるアマチュア俳優
マル丸山、
2015年1月現在 高田世界館19ステージ出演 更新中!
私が初めてこの映画館に入ったのは、1988年、直江津高校3年生の頃でした。今だから語れますが、仲町に飲みに行った帰り?!(時効)何気なく入ったこの映画館は日活ロマンポルノのころ・・この映画館は「日活」成人映画専門映画館だったのです。イカ臭い便所?!汚い座席!Hな落書き・・永遠と流れてるベッドシーン・・今ほどAVが凄くなくて、なんだかストーリー性のない映像だった記憶しかありません。それから私は東京に出て、なぜだか演劇の道に入り役者を志し、そして挫折・・・1993年にふるさとへトンズラし、地元でのマル丸山としてのアマチュア俳優活動を1995年からスタートさせました。そして時が流れ2000年だったかなと思いますが、この映画館で地下鉄サリン事件のドキュメンタリー映画を見る機会があったのです。そこで再び入った日活映画館・・演劇人として再びこの小屋に入ったときに、この小屋の美しさに魅せられました。オペラ形式の2階席客席・・・創業1911年・・・スクリーンの下には昔の演劇人たちが回したであろう人力の「盆」があるという・・・「100年近い前の高田の俳優の大先輩たちは、この小屋でどんな夢を持って、何を訴えていたのだろう・・・」そのことを想像するだけで胸がワクワクしました。この小屋を必死で守っているNPO街なか映画館再生委員会の岸田さんから聞いた昔話ではこの小屋に住みこんで舞台を創り上げていた人たちが40〜50人いたといいます・・・この劇場に再会した時はまだ、演劇をやるためのステージの奥行きもなく・・・。またそれをやるための劇場側の組織も、そして自分も劇団こそは主催していたが、まだまだ自分の舞台を表方も裏方も全体的に創り上げていく知識と実力と金も知名度もなく・・・でも!・・・100年前の先人の高田の俳優の先輩たちの声だけは自分の胸に貫かれた気がしていました。「明治の時代は芝居小屋から開館したように、この街で再び演劇の灯をともしてくれ・・・」と・・・。そして、きっと呼吸して生きているであろう「生き物」としての劇場の怒りの声も・・・「俺は本当はポルノなんか見せるために生きてるんじゃないんだ!・・・」と・・・。あのサリン事件の映画を見終わって、そして劇場をゆっくりなめるように見まわしながら、心に誓いました。「必ずここで舞台を創り上げて見せる!そして、英霊となっているだろう100年前の高田の俳優の先輩達に喜んで観てもらえるような芝居を創り上げるんだ!」と・・!!「高田の街を演劇で盛んな東京・下北沢のようにしてみせるんだ!」と・・・私の高田での芝居の恩師でもあり師匠と自分では勝手ながらに思わせてもらっている北城神明宮の宮司であり、アマチュア劇団群星座を率いていた故・玉泉典夫先生がおっしゃられていたのは、「昔、高田には社会派劇団7つも8つもあって、世界館で演劇祭をやっていたんだ。」と・・・文化不毛の地とよく言われる高田・・・今でもそれは拭いされてはいないでしょう・・・。それでもやるしかないと高田にトンズラしてから早や22年・・・色々バッシングやら誤解やら、仕事と芝居どっちが大事なんだとか、本業はどっちなんだ?とか、家庭を大事にしてないだとか言われ続けながらも、三度の飯よりも大好きでやまない演劇活動を真っ直ぐに純粋にしてきたつもりではあります。・・・ですが!私も45歳になりいつ死んでもおかしくないですし、また俳優としても自分が表現していきたい高田人としての心と年齢がだんだん重なってきたということ、そして岸田さんを筆頭に大変多くの方がこの上越市の貴重な文化遺産でもある「高田世界館」を守って創り上げ再生させて、「フィルム映画館」のみならず「芝居小屋」としての「体」も完全に取り戻してくださったのも後押しし、2014年に積年の夢であった高田世界館演劇祭を実行することにいたりました。このプロジェクトに快く参加して下さった妙高市民劇団「空志童」さんをはじめ、みゅーじかる☆高田笑劇場・劇団上越ガテンボーイズ、ならびに携わってくれた全ての上越地区の演劇人の皆様とお客様に感謝を申し上げ、さらにより多くの良質な演劇作品と俳優を産みだし、新潟県内でも負けない屈指の演劇祭に育て上げることを約束いたします! 2015・1・15 マル丸山
第1回演劇祭